東日本大震災で被災された皆様お見舞い申し上げます。
ご無沙汰しております、D-MAでございます。
私自身は家族や家にも被害はなく、無事です。
親戚のなかには、まだ連絡が取れていないところもあり、心配ではあるのですが…。
3月11日(金)地震発生時には、仕事で都内の某企業の受付兼警備業務に就いていました。
設備さんとその建物の防災設備についての話をしていたところに、エレベーターが地震管制運転で停止したので、「あれ?」と思った直後にあの揺れでした。
エントランス入り口から見える外の風景は、建物や電柱が大きく揺れ、特に電柱は今にも倒れてくるのではないかと思える程でした。
その場所は築7年くらいのわりと新しい建物でしたので、下手に外にでるよりは中に居る方が安全だと思い、その場で待機していましたが、揺れが一旦収まったときには周辺の建物からヘルメットを被って外に避難する人達が見えました。
総務課からは業務を停止して、各フロアで安全確保して待機するよう放送が流れ、設備さん達は被害状況の確認と対応に走り回っていました。
ある程度落ち着いて終業時間を迎えたところで、徒歩で帰宅できる人は余震に気を付けて帰宅するよう放送が流され、パート、アルバイト、一部の社員の方達が帰宅して行きました。
中には「東京駅まで行ってみましたけど駄目でした。」なんて戻って来られた人も居ましたが(笑)
さて、JR全線で運転見合わせとなってしまったため、帰宅難民となってしまった私は廊下の一角に椅子を借りて宿泊することになりました。
設備さん達と見ていたテレビからは、被災地の惨状が映し出され衝撃を受けました。
その間に家や会社から安否確認の電話があり、家族の無事が確認できました。こちらからも、向こうからもなかなか電話が繋がりませんでしたね。
ふと、夜勤の現場は大丈夫か?と思ったのですが、会社からの電話から2ポストの内、一人は無事に現場に到着していると言われたので一安心。
さて、翌3月12日(土)は17時からその夜勤に入らなければならないので、電車が動いていなくても帰宅する必要があったため、6時40分に現場をあとにしました。
JR線が7時頃運転見込みという情報もあったので、なんとかなるだろうと思っていたんですけどね…多分この後のことは同じような経験をされた人も多いのではないかと思いますけど、ひたすら歩く事になりました(苦笑)
まずは有楽町駅へ。
まだ運転の見込みはない様子なので、上野駅へ向かいました。
そこでは人が多くて改札さえ入れない状態…次に目指すは北千住かな…。
と、ここできちんと確認しておけばよかったと後悔したものです…。
結構線路沿いを歩いている人達が居たので、その集団に付いて行ったのですが、時間も無いのでハイペースで前を歩いている人達をどんどん追い抜きながら進んだのですが、気が付くと周りに誰も居無くなり、『尾久駅』にたどり着きました。
…これって宇都宮線とかじゃないか!?
私は常磐線の線路沿いを歩いていたんじゃないのか!?
そのあとは道に迷って巣鴨とかに行ってしまったりして、無駄に体力と時間を消費してしまいました…。
コンビニで地図と、歩きながら飲食できるものを購入して再出発した時には正午を回っていました。
電車が動き出していたのは判っていたのですが、あんなスシ詰め状態には乗りたくないと、行けるところまでは歩くと決めました。
結果的には時間も体力も無くなってきましたので、綾瀬まで歩いてスシ詰めの電車に乗ることになってしまいました(笑)
家に着いたのは15時半頃で、バタバタと仕度をして、16時過ぎに自転車で夜勤の現場に向かいました。電車で二駅なんですけど、時間があてになりませんでしたから確実に時間内に現場に到着できる手段を選びました。現場に着いたときには足腰がガタガタでしたけど(笑)
で、今日は計画停電にさんざん振り回された一日でしたけど、長くなってしまったのと、明日は始発に乗るくらいで出勤したいのでそのあたりは後日書こうかと思います。
では、おやすみなさい。
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